[本文はここから]

屋形船つり新ミュージアム

屋形船の歴史

宮人の舟遊び

屋形船のルーツをたどると、その原型は平安時代に見出すことができます。 古くは万葉集にも詠まれていたというのが宮人の「舟遊び」。これが平安時代には、川や池泉に竜頭鷁首の(龍頭や水鳥などが船首にしつらえられた)船を浮かべ、遊覧を楽んだ、という記録が残されています。桜や紅葉を愛でたり、漢詩や和歌を詠んだり、楽器を奏でたり等々。船の上は、貴人たちが日ごろの素養を披露しつつ、典雅に過ごす場であったようです。

戦国大名の舟遊び

下って戦国期には、織田信長や豊臣秀次が、宮中の舟遊びに似せて、船中で句や謡(うたい)の会、茶の湯を催したという話も伝わっています。こちらは戦に明け暮れる日々の束の間の安息の場だったのか、それとも政略・戦略を企てた、接待の場だったのか。

豪華楼船時代

江戸期に入り、泰平が訪れると、豪商や有力大名などが自前の船で盛んに遊覧をするようになります。船も大型化し、競うように造りも豪華になっていきました。明暦の大火(1657)後に一時、鎮静化しますが、江戸の街が立ち直るとともに以前にも増した盛り上がりを見せ、その造りは絢爛豪華、金銀漆などで装飾をするなど、贅をつくしたものになっていきます。 大船2艘を大板でつなげ舞台とした、「踊り船」なども登場しました。寛文、延宝年間(1661~1681)が、こうした豪華屋形船の最盛期でした。しかし見かねた幕府は、元和2年(1682)、大船禁止令を出し、その後も次々と倹約令を発したことから、豪華船は衰退していきました。

粋で風流な江戸の屋形船

やがて、質素な屋形船が新造されたこともあり、大名などが所有する豪華船から、船宿や料理屋が所有し、一般庶民も粋で風流な遊びとして楽しめる、現代に通ずる屋形船のスタイルへと継承されていきます。浮世絵にも、屋形船を楽しむ江戸の人々の図が、数多く残されています。

明治以降、屋形船の浮沈

江戸が終わり、維新後も明治・大正・昭和初期にいたるまで、人々に楽しまれてきた屋形船ですが、太平洋戦争のために、また衰退してしまいます。さらに戦後復興から高度経済成長期に入ると、今度は水質汚染や、殺風景な河川護岸工事がなされた影響から、一時はほとんどの屋形船が鳴りを潜めることになりました。

現代の屋形船

その屋形船が息を吹き返し始めたのは、1980年代のバブルの頃から。「豪華な遊び」として注目されたことに、河川環境が改善されてきたことなどが重なり、やがてエアコンやカラオケ完備の、現代型の屋形船が続々と登場するようになったのです。日本の伝統文化として、延々と続いてきたかに思われる屋形船も、浮き沈みをくり返し、再び脚光を浴び始めたのは、比較的最近のことだったんですね。

  • 船宿 釣新 ─ 屋形船なら東京浅草 つり新。東京タワー、スカイツリーも船から見れます。
  • 〒130-0004 東京都墨田区本所1-3-11 TEL: 03-3622-3572
  • COPYRIGHT © 屋形船つり新 All Rights Reserved.